清里バイブルフェロシップ連載証「キリストを土台として」③
この数か月の間私は安息日の意味について思い巡らせています。人間の歴史と生活は神様の安息からはじまっているということが新しい発見でした。私たちの生活も安息からはじまります。神様が休まれ続けたのと同じように、私たちもその安息の状態、すなわち、神様とともに過ごす生活を続けられるということを思い知らされました。また、環境破壊が人間の罪から起こったことについても再び考えさせられ感謝でした。
(ギバート サンディ)
創造の世界の中に神様の私たちへのこんなにも深い愛とメッセージが込められていたことを知り感謝でした。恵みの中にいながらも失敗し身勝手な私たちであるにもかかわらず、ただその存在を変わらずにむしろ心配し、受け止めてくださり、回復の道をもあらかじめ備えて
くださっていること、私たちは神様を恐れ怖がるのではなく、ただ素直に飛び込んでいけばよいのだという言葉に表せない安らぎに包まれました。
まだまだ一歩ずつですが、失敗しても大丈夫なのだという神様の後押しと励ましを信じ、チャレンジしていきたいと思わされました。(清 陽子)
今回の講義を通して善悪の知識の木をなぜ神様がそなえられたのかの疑問が解消されました。神様は人を愛の対象として作られ、自由意志を与えられました。愛とは人を縛ることではなく、ほかの人の自由意志を尊重することだ、という言葉が心に深く刻まれ、感謝です。また、すべてはキリストの贖いと救いにいたるための伏線であり、神様の深い摂理を感じることができました。(清 幸路)
創世記を分かりやすく、かつ、具体的に教えていただき新たな気づきが与えられました。これからの信仰生活に与えられるみことばと祈りをもって歩んでいきたいと思いました。自分が果たすべき目標をしっかりと掲げ喜びと感謝を忘れずに!(後藤 かつよ・郡山ホープチャペル)