閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.064   2018.09.16

■佐藤 栄子

 

主の御名を賛美します。日曜日は私にとって一番の楽しみです。教会で聖歌やワーシップソングを賛美していると身も心を暖かくなり、イエス様が身近におられることを覚え自然と元気が湧いてきます。聖霊様が私を導いてくださることを感じながら一週間をスタートします。詩編を思い巡らし、聖書を読んでいると活字だけを追っている私ではなく、主が共にいてくださる喜びがあります。私はこの度誕生日を迎え、77歳になりました。いよいよ背筋を伸ばして、主が与えてくださったチャンスを一人ひとりに伝える仕事に心を新たにして歩みたいと願っています。
西田先生にお会いし教会に導かれたのは、今から22年前のことです。当時は夫が入院していて長男が持ってきた自己破産の本を通じて、 大門の事務所でカウンセリングを受けました。手続きの最中、夫は亡くなりましたが、西田先生は夫にとって最後に出会った友人でした。
私は子供の頃、父の仕事で北海道の小さな魚師の町へ転校したのですが、その当時の友人が火曜学校に誘ってくれたことで教会に行き始めました。イエス様の挿絵がとてもきれいな御言葉カードをもらうのが嬉しくて、毎週通っていました。また、「光の子」という聖歌を歌っていたことも覚えています。その友人とは帰省する度に時間を共有しており、いつもありがたく思っています。
私はクリスチャンとして今ここにいることを感謝しています。次男を自殺で亡くし、15年になります。ちょうどクリスマスで都内の福祉施設へキャロリングに参加し、帰宅後に知りました。真夜中、西田先生と当時お世話になっていた佐藤先生が車で駆けつけてくださいました。そして、嫁にもお二人が祈ってくださり、目には見えない神様からの慰めのお心が伝わっていたのではないかと確信しました。後日、私は大事なことを知ることができました。それは「子供は親の所有物ではなく、神様から授かった宝」なのだということです。
人生の海の嵐に もまれ来しこの身も 不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今 安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安し
これは息子を亡くした頃、与えられた大好きな聖歌 「人生の海の嵐に」です。その後、夕方パートで隣の駅に向かう時、車椅子の青年から「介助をお願いします」というチラシをもらい、今命をいただいている人すべて神様の子どもであることに気づかされました。私の周りには障害を持っていても毎日を元気に生活していらっしゃる友人がいます。また、会話ができない方でもその気持ちを少しずつ理解できるようになり、今は彼らと一緒に与えられた時間を過ごすことが大きな喜びとなっています。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(コリント人への手紙 第一10:13)(佐藤 栄子)

閉じる