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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.056   2018.07.22

■田中 美由紀

 

8年前、教会に来る事になる前の自分を思い返すと、現実を見ず、夢ばかり追いかけて生きていたように思います。人と居ると疲れるので一人の方が好きで、仕事をするのも億劫だけど仕方なく職場に行く。家族とは波長が合わず、自分の好きな事をしていられたら小さな幸せを感じ、時々友人と会っておしゃべりできたら、また、カラオケで好きな歌が上手く歌えたら少しだけ喜びを感じる…。
平凡な人間の人生なんてこんなものだと、神様から頂いた貴重な時間を、半分諦めの気持ちで生きていたように思います。
「何とかなる」。楽観的な性格は今もそのままですが、神様と出会えてからは、その意味合いが180度変わりました。こんないい加減な私でもいつも神様が共にいて下さり、私にとって最善の事をして下さっていたのだと知った時は、感謝で涙が止まりませんでした。こんな私をそこまで深く愛し、自らを犠牲にしてまで私を救って下さったのだと信じる事に、何の疑いの気持ちもありませんでした。
 7年前の秋、癌を発症して、死への恐怖や、家族や親友を悲しませる贖罪の気持ちなどと戦っていた時も、常に神様の愛を感じていました。あぁ、神様はこんなに私を愛して下さっている…『私は弱い時にこそ強い』(第2コリント12:9~10 ) 後から知った御言葉ですが、あの時、心が弱くなっていた時、イエス神様は可哀想にと一緒に涙を流して下さり、大丈夫だよと励まして下さり、共に居て支えて下さっていたということが理解できました。祈りによって全てに最善を与えられ、主と共に癌患者生活を終える事ができました。
今も尚、日々の生活の中で私を助けて下さらなかった事は何一つありません。いついかなる時も神様が共に居て下さる、この確信によって私は徐々に強く変えられ、全ての事について感謝する事の素晴らしさを知りました。弱い時にこそ主が大きく働いて下さる事を知っているので、このままの自分で良いのではないか?と自分自身を許せるようになり、以前のように劣等感を感じる事もなくなりました。
 何もできないと思っていた私に、神様は一生やっていけると思える仕事と最適な職場を与えてくださいました。今だからそう思えるのかもしれません。以前の私なら、上司の言葉に腹を立て、不満を漏らし、もっと良い条件の所を探してはまた同じ事を繰り返していたかもしれません。西田先生の礼拝メッセージを毎週聴くうちに、ここに神様が遣わして下さったと心から思えるようになり、毎日仕事に行ける事に感謝と喜びを持てるようになりました。
そして、日々体験している神様の素晴らしさを周りに伝えたい、神様の愛に答えたい、主の弟子として働きたいという思いがいつしか人生の目標となり、今では日々その事だけを考えて生きるようになりました。夢ばかり追いかけていたあの頃の私には、こんな人生が待っているなんて考えもしませんでしたが、神様は私が生まれる前から私を選んで下さっていた事を知ると、偉大なる神のご計画の中で生かされている事を思わされます。こんな私を捕らえ、愛し、用いて下さる神様!神の御国の働きの為に、ここに私がおります!


『わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前からあなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。』エレミヤ書1:5

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