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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.044   2018.04.29

■木村 美伊子

 

小学2年生の時に転校してきた友達が日曜学校に行っていたので、私も教会に行くようになり、イエス様を信じるようになりました。二人いる姉も教会に導かれ、二人は洗礼を受けましたが、私は中学生になるころには教会から離れ、中途半端な状態になっていました。
15年ほど前に北海道から上京し、また教会に行きたいと思いはじめ、10か所以上の教会を放浪していました。ところが、どこに行っても1,2度ぐらいで何か違う、と挫折して長続きしませんでした。次第に「私は神様に愛されていないのではないか?
導かれていないのでは?」と疑うようになっていました。
しかし、そういえば真剣に祈っていなかったことに気づき、神様の助けを求めるようになりました。「毎週喜んで、歩いて通える教会に導いてください。」と具体的に祈るようになって半年ほどが経ったとき、北海道の姉が興奮した様子で電話をくれ
ました。西田先生のメッセージをインターネットで偶然聞いた姉は「素晴らしい先生がいるよ!しかも、歩いて行けそうだよ!」と教えてくれたのです。
そのおかげで毎週、喜んで教会に来るようになりましたが、洗礼を受けることにはためらっていました。「クリスチャンになることで束縛され、自由がなくなる、変わる必要はないのではないか?」と思っていたのです。でも、娘を授かり、育児に追われた日々のなかで、なぜか自分が小さい時に言葉で人を傷つけたことや、忘れていた罪の事を思うようになり、自分がどれだけ変わらなくてはいけないのか、ということを思い知らされました。そして、心から作り変えられたい、罪を許してほしいと願いました。また、主人や主人の家族、まだ救われていない両親に、きちんと自分はクリスチャンで、イエス様を信じていることを知ってもらいたい、と思うようになりました。
そして、2011年10月に喜びと感謝に満たされ、洗礼を受けることができました。望むことが思うように進まなかったり、様々な試練もありますが、心から願って求め、それが神様の御心ならばその人にいちばんあった時期に道は開かれ、与えられるのだと私は信じています。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」(伝道者の書3:1)

毎週、娘の六花と喜んで教会に繰られることをいつも心から感謝しています。(木村 美伊子)

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