■木村康人
私は埼玉県上尾市で生まれ育ちました。当時はまだ、家族はクリスチャンではありませんでしたが、ミッション系の幼稚園に通っていたため、幼い時よりキリスト教文化に触れる機会がたくさんありました。家庭では、家族全員から大いに愛され、幼稚園では、優しく理解ある先生方や友達を通して育まれました。今振り返ると、神さまは私が生まれた時から、本当に恵まれた環境を用意してくださっていたと思います。
そんな環境で育った私ですが、学生時代に打ち込むものを見つけられず、次第に自分に自信を無くしていきました。就職活動時も自分の適性もよく考えずに入社試験を受けた結果、ことごとく失敗し、卒業間際になってかろうじて一社受かったところになんとなく決めました。当然、そんな程度の気持ちで仕事がうまくいくはずもなく、すぐに行き詰ってしまいました。
やがて、自分は必要とされていないという気持ちが強くなり、休日にふさぎ込む日々が続く中で、家族の勧めで日曜日に教会に行くことがありました。家族はすでにクリスチャンでしたし、教会に行くこと自体には抵抗はありませんでした。玄関に入ったところで、当時の副牧師であった方が私の名前を呼んで、たいそう喜んで歓迎してくださったことはよく覚えています。そんなこともあり、教会の印象は悪くなかったので、隔週で教会へ足を運ぶようになった私は、ある日、足に障害の持った方の証を聞く機会がありました。その方は開口一番に、「わたしの神さまに一番感謝していることは、この足です。」と言っているのを聞き、心に戸惑いを覚えました。「なぜ、不自由な足を感謝できるのだろうか。」そんな疑問を持ちつつも、証は続きました。証の内容はその時の私にはよくわかりませんでしたが、その方の生き生きとした態度はとても印象的でした。その時以来、神さまは私の心に働いて下さり、先生のメッセージや信徒の集まりを通して、少しずつ回復のみわざを始めてくださいました。聖書にも興味を持ち始めた私は、一度聖書を通読してみようと思い立ち、空いた時間を使って聖書を読み始めました。
そしてある夜、神さまは、聖書から「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)というみことばをもって、いつも一緒にいて下さるとの約束と救いの確信をくださり、2000年の12月24日に、イエス・キリストを自分の救い主として認め、洗礼を受けました。
今、洗礼を受けて17年が経ちますが、神さまが共にいてくださるという約束は聖霊さまを通して実現し、イエス・キリストの弟子として成長できる素晴らしい環境に導いて下さっています。また最近では、神さまが私にしてくださったみわざを、周りにいるまだイエス・キリストを受け入れていない人たちに伝える責務も与えて下さっています。
神さまはいつも変わらず忠実なお方です。私がこの方を知ることができたのは本当に驚くべき神の恵みだと、今ではそう思えます。この素晴らしい方との関係を楽しみつつ、これからを歩んでいきたいと思います。
(木村康人)