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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.007   2017.08.13

■7:土生 敬子

 

神さまは時として、私たちがどれくらい神さまを信頼しているか、激しく試されることがあります。今日は、先日行ったサマーコンサートで起こったことについてお話ししたいと思います。
今回のコンサートでは、一人でたくさんの歌詞を歌わなければいけない曲が何曲か
あったのですが、なかなかそれらの曲に集中して向かうことができず、時間が過ぎる
ほどに焦る気持ちが手伝って、萎縮したようなあまり良くない状態に陥ってしまい、
いくら練習を重ねても、納得がいかないまま、本番当日を迎えてしまいました。
当日は、短い時間を使ってリハーサルを行うわけですが、私が歌うべきパートの
歌詞が見事に飛び、何秒間か無言で立ち尽くすという、とても悲惨なことになりました。私の頭は、「本番でも同じことになったら…」「コンサートを台無しにしてしまう…」と悪いことばかりを考え始めたのですが、その時ハタと、自分が心の中心に迎えていたのは「神さま」ではなく、「自分自身」に他ならなかったことに気がつきました。
私は天のお父さんに本気で謝りました。「あなたに全てをお委ねします…」などと美しく聞こえる言葉で祈りながら、実のところは自分の力で全てを何とかしようとしていたことを…。そして、聖霊さまに、「私の中に記憶させてくださった全ての言葉をあなたに預けますので、歌う中で、必要な言葉をお与えください…」と泣きながら祈り、舞台に出ました。
でも、前に立って一人で歌い始めた途端に、恐れと不安がやってきて、歌いながら必死に次の歌詞を探そうとしていました。そして頭の中がパニックになりかけた時、お父さんは私におっしゃいました。「私に任せなさい」と…。
私はそこでようやく観念しました。そして本当にお父さんに全てをお任せすることを決め、頭の中を無にしました。するとその瞬間、心にすーっと平安が戻り、言葉が自然に頭に浮かぶようになったのです。一行歌うと次の一行が、本当に一行ずつ、確実に淀みなく与えられました。それはまるで、一日分ずつ天から降ってくる「マナ」のようでした。
気がつくと、一曲全てを歌い終わっており、全ての曲の全ての言葉が守られたのです。神さまは私に、神さまを本当に信頼するとはどういったことなのかを、そして、必要の全ては本当に神さまが一つずつ与えてくださるのだということを、芯から教え解らせるために、私が恐怖を感じる状況を作られた上で、究極の実地訓練を行われたのでした。
こうしていつも、愚かな私を常に戒め育ててくださり、その偉大さを見させ感動させてくださる天の父なる神さまと、父なる神さまとのこのような親密な関係を回復させてくださった子なる神イエスさまと、毎日私を導き守り助けてくださる聖霊なる神さまに、心からの愛と、感謝と、最高の賛美を捧げます。ハレルヤ!!
(土生 敬子)

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